小雑記 SINCE 2001.11.19

 
<< Top
< 最新の雑記
20015年
20014年
20013年
20012年
20011年
2009年
 【1-3月】
2008年
 【10-12月】
 【7-9月】
 【6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2007年
 【11・12月】
 【9・10月】
 【7・8月】
 【5・6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2006年
 【11・12月】
 【9・10月】
 【7・8月】
 【5・6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2005年
 【11・12月】
 【9・10月】
 【7・8月】
 【5・6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2004年
 【11・12月】
 【9・10月】
 【7・8月】
 【5・6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2003年
 【11・12月】
 【9・10月】
 【7・8月】
 【5・6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2002年
 【11・12月】
 【9・10月】
 【7・8月】
 【5・6月】
 【3・4月】
 【1・2月】
2001年
 【11・12月】
 【3-8月】
 2014年

ネガめな小文等とお知らせ

2014/10/22
---------------
Topページの背景写真の花を紅葉に入れ替え。
全て昨年撮ったもの。

2014/9/20
---------------
Topページの背景写真の花を秋のコスモス等に入れ替えた。
コスモスの写真は全て昨年撮ったものにした。
あまりいい写真が無かったが。

2014/9/10 その1
--------------------
今年8/20で前の職場を辞めてから5年経った。
あっという間な感じで。

5年間経っても、結局、魔法のようには道が開けたりせず。
今後の生きていく希望も目標も特にもてず。

貯金も少なくなったし(毎月社員時代と同額の生活費を親に払ってる)、定期でのバイトやパートを探し始めた。
人間関係も今までの仕事も嫌で憂鬱なので、あまり無駄に悩まなくてよいようなもくもくと軽く身体を動かす仕事を探してる。

2014/9/10 その2
--------------------
5年経ったのでいろいろ吐き出しておこうと思った。以下長文続く。

前の職場に入るとき、Web制作の仕事に対する自信もあまり無く、今後の目標や希望をあまりもってない状態だった。

その前の転職した会社で試用期間で嫌な思いをして自己都合で辞め、その後、転職前の会社の同僚からフリーランス仕事を頼まれたが、それも大変でかなり消耗。
両方とも自分の制作能力が高くなかったことが大きな一因だと思われ、さらに自分の能力に自信が無くなっていた。
短期間で辞めてしまったので、次の会社では最低2年間は続けなければと思っていた。

そうした後に派遣社員として入社したのだが、配属されたチームの中で自分が一番年上なのに一番実制作(デザインもCSSコーディングも)が出来なかった。コーディングはテーブルによる古いレイアウト方法はそこそこ得意だったが、そこでは特別な場合を除きフルCSSでのレイアウトで、経験少なく苦手だった。
当時30代後半だったのだが、15や10も年下の若い人たちが多く、彼らとの比較を強く意識させられる状況だった。制作現場・仕事の現場としては、それは仕方のない・ある程度必要なことだけど。
出来る人・これから成長していく若い人にはいい環境だったと思うが、自分にはきつかった。
周りの人たちと比べて出来ないので、毎日能力無い・才能無いと自己否定して仕事を続けていた。
また、当時会社の業績が悪く派遣切りが多くなり、自分も入社1年目は5回も契約延長するかどうか検討対象者となった。その度に能力無いと更に自己否定した。

1年目はコーディング中心だったが、2年目はUI的なものにも関わりたいので少しデザイン制作を増やしたいと希望を出したら、デザイン中心の仕事をやってみろということになった。
自信が無く今までの経験からとてもプレッシャーで迷ったが、やってみることにした。
デザインは見た目ではっきりわかるので若い周りの人たちとの差が更によくわかった。自分にも他人にも。
自分は時間ばかり掛かり、出来る人との差を痛感した。プレッシャーから憂鬱で吐きそうな気分になることも多かった。

最後には以前よりも少しはデザインが出来るようにはなったけど、自分からすると天才的にデザインが得意な人がいたので限界を知った。その内一人の若い人は半年間位は自分と同じくらいデザインがダメだったが、一気に伸びてチーム内外の誰もが感心するデザインを短時間でつくれるようになった。
Web制作を仕事にしてから、ある程度の期間続ければ、自分もいつかはデザイン制作のコツを掴め、一気に成長するかもと心の隅でずっと思っていたが、そんなことはほぼ無かった。成長できたらデザインすることの苦しさよりも好きが上回るかもとも思っていたが、それも無かった。
デザインにしろコーディングにしろ、周りの人の多くは進んで自然と勉強できたり、職場以外でも制作していた。大変で時間が掛かるため自分は仕事以外ではあまり制作する気が起きず、そこまで好きになれなかった。

また出来る人や優秀な人は自分の10倍くらい仕事をこなせる感じに思え、そういう人がいれば自分なんか全く要らない存在だなと思ったりした。
お金を儲ける・仕事にするなら、得意なものにしないと自分にも他人にも良くないなと遅きにして強く思った。
なんで自分に対してもっと客観的に把握できないのだろうとも思った。今もだが。
でも制作の仕事としては、今までの職場の中で一番面白い仕事をやらせてもらえたと思う。

チームの上司等の人たちには色々お世話になった。知らないところでもたぶん色々。
上司の人たちは優秀だった。リーダーは自分と正反対の性格の人だったので、苦手意識があったが。体育会系で弁が立ち他人の弱点を掴みそれも上手く利用し、集団を統率して前に進めるのが得意な人だった。彼に対立して意見を言える人はチーム内にいない感じだった。パワハラ上等と時折言ったりしてたが、親分肌で、慕う人も多く、バレンタインのチョコを社内で一番(たぶん)貰うような女性人気も高い人だった。社会的には集団の中ではやはり自分と正反対な人が成功したり人にモテたり人生も楽しめるんだなとやるせなく思ったりもした。

他部署からは楽しそうな部署だと言われるチームだったのに、実はあまり馴染めたという気持ちが無い。
チーム内では縮こまり気味だった。一番年上なのに実制作が一番出来なく飲み込み悪く、そのため自信ももてなく自己否定ばかりしていて、仲が良い人は本当に少数で、同じ立場の同年齢の人もいなくて、気持ちや悩みをかなり抑えがちだった。
自分の味方は誰もいないと思いがちだった。
また、自分からするとリア充の人たちばかりで、それとは逆の自分が馴染めないのも当たり前だったかもしれない。

40歳までにどこかに正社員として就職出来ればと考えてた。
バリバリと実制作するのは向いてない・能力的にも厳しいと思っていて、また派遣先の会社はあまり社員登用をしておらず、このまま続けるのも辛く思っていた面もあったので辞めることにした。自分が興味あるものを扱っている会社などのWebマスター等になろうかとか考えていた。
でも辞めるときは、残念ながらWeb制作の仕事に対するやる気があまり無くなり、今後の目標や希望がもてない状態だった。
40になるということを強く意識し、自分のうまくいかなかった人生を振り返り自己否定ばかりして憂鬱で絶望し、精神的にかなり辛くなっていた。
子どもの頃から少し偏っていて・無理して・閉ざしがちな自分の精神がもうもたなくなったんだと思う。

辞めた後、半引きこもり状態が続き、昔から苦手だった多人数が集まる会にさらに参加したくなくなっていて、何か言われてさらに傷つき自己否定しそうで、誘われても1回も参加しなかった。
申し訳ない感じだ。
辞めるときはすぐに再就職するつもりだったのだが、こんな状態になるとは。

職場の人たちは達者だろうか。当時、若かった人たちや新入社員で入って来た人たちは、立派に成長しているのだろうな。まだ会いたいと思えないが。

上記文章は、今の時点で昔のことを思い出してまとめたので、当時の感情や思いとは少し違ってそうだけど。

2014/9/10 その3
--------------------
この5年間、たまに誘われて少人数だったら友人と会うことはあった。自分からは一度も人と会おうとすることは無かったが。
しかし、友人だと思っていた奴に、酷いことを言われることもあった。

弟が自宅でフリーランスで仕事をしていているのが気に食わず、また直接文句を言えない奴に、自分が会社勤めをしていないので勝手に重ね合わせられ、飲み会の間中、間接的にディスられたりした。
また他の奴には、飲み会はじめは"働かなくていい状況ならそのままでいい"と言っていたのに、最後には"働きたいなら福島の原発行って作業員でもやれよ"と言われた。
自分はずっと海外勤務で日本での仕事はキツイから戻りたくないなどと言っている癖に。

両人とも昔からよく妬んだり世間一般人的(?)な偏見もったり感情的な面がある人だったが。自分が精神的に弱っていることをある程度は知っていたはずなのに。
自分も感情的な面があるから、人のことは言えないが。
そのときは人間関係から逃げあまり働いていない自分が正しいとも思えず自己否定もし過ぎてて自信も無く、何も言い返せなかった。昔からその場で言い返せなくて、後から相手を激しく憎んだり自己嫌悪することが多いけど。
本人は大して何とも思っていないだろうが、自分はかなり傷ついたし憎んだし裏切られた気分だった。自分が友人だと思っていた人でも、よく会う相手でなければ気持ちをほとんど考えない言動も多くなるんだなと思った。
世間一般人的な偏見をもち、自分の気持ちばかりで感情的で妬みが多い人(?)に会うのが更に嫌になった。
中には詮索せず生暖かく見守ってくれる人もいて感謝している。
どう接したらいいかわからない、深く関わるのが面倒で、結果、見守ってるだけなのかもだが。

2014/9/10 その4
--------------------
あまり働かないことや楽をすることに対して、どうして妬みが多いのか?
やはり自分と同じでないと気に入らない人が多いからだろうか? 自分と違う人の気持ちは理解できないからか? 人間が社会的生物だからだろうか? いつまでも強く豊かな国家や社会を存続させたいと思うからか?
人間の多くは大昔から豊かで快適で楽な暮らしを求めていたのではないのか? 楽園を求めていたのではないのか? それなのになぜそういう状態や価値を否定するのか?

50年前・100年前・千年前の生活と比べると、現在の日本は信じられないほど豊かで便利で衛生的で安全で娯楽や飲食物も溢れて快適な生活が出来るようになっている。
蛇口を捻れば新鮮で安全な水がいくらでも出てきて、スイッチを付ければ真っ暗な場所が昼間のような明るさになったり、暑い場所が涼しい場所に寒い場所が暖かい場所に早変わりし、火が一瞬で付き長時間使え、昔は祭り等の特別なときでしか観られなかった劇(ドラマ)・歌等もTVを付ければ毎日複数のチャンネルで流れ、ネット・ディスク・劇場等でもいくらでも視聴でき、病気も難病や寿命でなければ薬や手術で治せるものが多く、世界の裏側の人ともほぼリアルタイムで連絡や情報交換できる。
昔の時代を想像すると、魔法のようなことが出来る豊かな世界。

しかし、それらを楽しめず・特に快適と思えず、奴隷のような気持ちで働き生活している人も多い感じがする。自分もそんな精神状態になって働くことが多かった。
それほど多くない収入でも、周りの人やマスコミが当たり前とする生活水準から一旦距離を置けば、今の文明社会の豊かさを享受し感じることは出来るはずなのに。
やはり今の暮らしが当たり前になってしまっているから、豊かさ・快適さに気付けない・実感出来ないのだろうか? 自分もここ数年間で現在の豊かさ・快適さに強く気付けてきたので、そういう人は多いのかもしれない。また毎日の労働と生活で忙しく、そういうことに気付く精神的な余裕もない人も多いだろう。
ほとんどの時間働き、無くてもいいようなサービスや商品を消費させられることを勧められる。
こんなに飲食物やモノが溢れているのに、全員が働いて働いて、消費して消費することを求められる社会。
根本的には人間のDNAの消せない飢餓の記憶と防衛本能のせいなのだろうか?
満たされない欲望から理想を求め、文明を発展させてきた面も大いにあるだろうけど。

過去や現在の多くの人間の働きのお陰で、この豊かさが出来上がっているのは事実だけど、ちょっと立ち止まり、もう少し今の豊かさを実感したり有り難く思ってもいいのではないか?
大昔、長い長い間、豊かだが厳しく野蛮でもある自然の中でほぼ裸で生きてきた人類は、5万年前くらいから文化的に大きく進化してきたのでは?と言われている。
例えばそれから今日に至るまでを想像してみても、とてつもない数の人たちの働きによって、当時とは驚くほど違う現在の豊かさと快適さと蓄積された知識があるのだとわかる(現在の豊かさは近代以降、科学の進歩等により飛躍的に発展したように思えるが)。
ネットが普及し膨大な情報のデータベースができ、昔に比べとても簡単に多種多様な先人たち等の情報を入手でき助けられることが多いことも、それらをより強く意識させられるようになった要因だ。
先人たちの膨大な数と費やした時間の成果を有り難く享受したり、それらを感じていいのではないだろうか。

確かにほとんどが電気抜きで考えられない今の文明の豊かさはとても危うい。
電気が使えなくなれば、現在のような大量の飲食物や工業製品も生産・供給出来なくなり、移動やコミュニケーションもかなり限定的になり、寒暖等の環境も厳しくなる。
大昔非常に繁栄していたと思われる恐竜が絶滅したように、人間という種も人間の社会の豊かさも永遠には続かないだろう。
また、その豊かさの陰で犠牲になった人や不幸になった人も大勢いる。大規模で悲惨で残酷な戦争をしたり、公害を出したり、地球の環境を少しずつ変えたり、他の生物を絶滅させてしまったりしている。
文化的に豊かになったことで複雑な社会で生きなくてはならなくなり、その面で逆に生きづらくなり新たな悩みが多く出てきてしまったこともある。
でも知恵をつけてしまった人間は、もう純粋に自然と一体に生きていくことには戻れないと思う。

今の文明の豊かさ・快適さを全肯定ではないにしろ認めようという意識になったのは、自分が歳をとり、とりあえず現実を受け入れなくては精神的に生きていくのが厳しくなったからという理由もあるだろう。
それまでは現実や自分の意識が辛く、現実逃避願望がかなり高かった。そして、自然と一体で生きていたと思われる状態から離れ、中途半端な知恵をつけそのことで複雑な悩みや問題が増えた人間に悪いイメージしかもってなかった。
それなりに歳をとり、自分にも世界にも妥協してきているのかもしれない。
いや、人間関係を出来るだけ避け+用事がなければ家から出ない生活を送り+若いときより病気になりやすくなった+ネットであらゆることを調べるため、文明的な生活や蓄積された知識・知恵の恩恵を大いに受けていることが大きいのかもしれない。

自分は、前から消費の贅沢にあまり興味が無かった。
精神すり減らして人の間で働きまくって、そのお金でたくさん贅沢に消費する生き方が楽しい・自分に合っているとは思えなかった。
最近は、人間関係等のストレスが本当に少なく衣食住の面がそこそこ快適で親も健やかで、常時接続のネットがあれば、それだけでも十分贅沢に自分は感じる。引きこもり属性高い人の意見だな(笑)。以前と比べたら、精神的に楽な生活をしているからそう感じられるのかも。
人とかかわると人間関係のストレスは無くなることはないのだろうが、人と関係しないと生きていけない。うーん。

もっとわかりやすくまとめた方がよいと思ったけど、このページはたまにしか見られてないし、かなり時間掛かってるのでもう止め。

2014/8/30
---------------
ANIME'S IMPRESSIONSのブログのシステムとサーバーを変更した。
ANIME'S IMPRESSIONSにも同様に書いたが、ここにも書いておく。

ブログのシステムをMovable Type(4.38)からWordPress(3.9.2)に変更した。 それに伴い借りているサーバーも替えた。
確認したが、不具合・リンク切れ・レイアウト崩れ等あったら、連絡ください。

セキュリティの対応でMovable Typeを新バージョンにしようと思っていたのだが、今まで借りていたサーバーのコースでは対応していなく(MySQL無し)使用できず。どうしようかとしばらく考えていたが、せっかくなのでサーバーのレンタル会社を替え、興味のあったWordPressのシステムでつくってみた。WordPressをいじったのは約5年振りだった。
(さくら ライトコース年1543円からエクストリム ライトコース年1296円+初費1080円に変更)
デフォルトのテンプレートのTwenty Twelveがシンプルなデザインでよさそうだったので、それを細かくカスタマイズした。
WordPressはカスタマイズ性が高いのはよいのだが、気になる点をいじろうとすると複雑になったり、Movable Typeから記事をうまくは取り込めなかったりと相変わらず時間が掛かった。
見た目はシンプルだが、カスタマイズ箇所が多くなったので不具合が起きたら対応が大変になりそうで心配。

今度借りたサーバーは格安のところのせいか、契約後しばらくは数日に1回くらい数分〜20分程度サーバーが落ちていたので、その点も少し心配。最近は落ちてなさそうだが。
試用期間中は問題なかったので、もう1年分の使用料を払ってしまった。
6月末にはほぼ完成してたが、そのこともあり様子見してた。
近日中にイベントのレポート記事をあげようと思っていたため、テストも兼ねて新環境に移行させてみた。
実は29日(金)夜に一旦公開したのだが、ブログが表示されなかったり、前とRSSフィードの出力URLが違っていたりと調べて試行錯誤してた。
問題出ないとよいのだが。

2014/7/17
---------------
Topページの背景写真を夏の花に入れ替え。
東京は梅雨明けしてないが蒸し暑い日が続いてるし、もう初夏の花は季節外れな感じなので。

昨夏撮った花の写真はいいものがなかったので採用無し。暑さもあり撮影にあまり行かなかったし。
その代わり2010年に撮ったアガパンサスの花1枚を追加。

2014/7/13
---------------
どうして自分は普通の人の様に生きられなくなった?
いや、子どもの頃から普通の人の様にはうまく生きられなかったじゃないか。

2014/5/3
---------------
Topページの背景写真を初夏の花に入れ替え。
昨年撮った写真も2枚追加。

春の花は、写真が沢山あり選別等が大変で、3・4月は撮影に結構行くので時間もあまり無く、やる気がそこまで出ずで中止。いつかやる気が出たときにでも。

2014/1/11
---------------
Topページの背景写真を新春の花に入れ替え。

2014/1/11
---------------
努力だけで簡単には克服・変えられない身体に強く根ざす気質のような部分。
そんなところから来ると思われる感覚は、同じような身体的(?)特徴を持った人でないと本当にわかってくれる人はいない。

子どもの頃から人より過敏に怖がり・緊張し・心配し・動揺し・恥ずかしがり・感情を溜め込み、周りの人間のようには振舞えず、生きづらかった。また同じように出来ない人間は周りから批判的な言葉をよくぶつけられる。それらの声を内在化した自分自身からも。

そんな人間でも人間社会の中で生きていかねばならない。どうしたらそんな人間でも消耗せず幸せに生きていけるのだろうか?

2014/1/11
---------------
12月中旬から家の植木の剪定・庭掃除・大掃除、近所の神社の落葉掃き等、年始は近所の神社の手伝いと休日無く働いて、やっと一段落。
年末辺りは毎年大掃除等で大変になるのだが、運動不足もあり、今回が一番疲れたかも。お疲れ様でした自分。

昨年も定職には就かず。
収入少ないので、貯金は減っていき。
相変わらず、将来や生きていく希望・目標ももてず。

今年の目標。被害妄想的な認知や必要以上に人を悪く思う・憎む癖が昔から強いので、そういう思考・感情になったときは早く止めるように気をつける。精神的にかなり疲れるし。子どもの頃から過敏な部分があるので難しいのだけど。

 
 
text by kyoichi Morioka ▲ Page Top